映画、ドラマ、舞台に活躍したベテラン俳優田村高廣さんが亡くなったことが17日、分かった。77歳だった。田村さんは往年の時代劇スター阪東妻三郎を父に持ち、弟の俳優正和(62)亮(59)とともに「田村3兄弟」として親しまれた。この日、都内で通夜が営まれたが、「葬儀後に死亡を公表してほしい」との遺志もあって、身内や関係者だけが列席。静かにしのんでいた。
突然の死だった。4月初めにクランクインした映画「プルコギ」にも出演し、元気な姿をみせた。同下旬に出演シーンを撮り終えていたが直後に行われた製作発表は欠席していた。
この日、都内の葬儀場で通夜が営まれたが、親族は一切、取材を受けなかった。死因などは明らかにされていないが、関係者によると、田村さんは「葬儀が終わった後に、死んだことを公表してほしい」との遺志を伝えていたという。身内とごく親しい関係者らだけで、ひっそりと営まれた。
田村さんはもともと俳優になるつもりはなかった。同志社大を卒業し貿易会社でサラリーマン生活を送っていたが、53年に当時の大スターだった父阪東妻三郎が急逝。周囲に勧められるままに24歳で俳優デビューした。木下恵介監督の映画「女の園」を皮切りに、勝新太郎とのコンビで人気だった「兵隊やくざ」、鑑真役で中国ロケを敢行した「天平の甍」、海外で多数の賞を受賞した「泥の河」に出演。演技派の俳優として高い評価を受けた。
ドラマもNHK大河ドラマ「赤穂浪士」「太閤記」「花神」などで重厚な演技をみせ、05年にはNHK朝の連続ドラマ「ファイト」にも出演。舞台も父譲りの「無法松の一生」などに主演した。何回か「2代目阪東妻三郎」襲名の話が持ち上がったが、田村さんは「演技の質が違うし、コピーにはなりたくない」と固辞し続けた。
4人兄弟で、2番目の弟正和、末っ子の亮は俳優として活躍した。90年には日本テレビ「勝海舟」に3兄弟で共演し話題を呼んだ。96年に腰に激痛が走る「すべり症」で入院したこともあったが、酒を控えるなど健康面には気を使っていたという。「不器用で守備範囲の狭い俳優」と自認していたが、91年に紫綬褒章、99年には勲4等旭日小綬章を受章している。
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