田村3兄弟の長兄で演技派俳優として活躍した田村高廣(たむら・たかひろ)さん=東京都世田谷区三宿=が死去していたことが、18日までに明らかになった。77歳。今週初めに自宅で脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となったという。17日に親族関係者によって通夜が行われたが、「葬儀後に死を公表してほしい」との田村さんの遺志で、事実は関係者以外には伏せられていた。きょう18日正午から、告別式が行われる。
18日朝、所属事務所担当者は「故人の遺志で、葬儀が終わるまで一切公にするな、ということです」と説明。同日朝、都内の高級住宅街にある田村さんの自宅を訪れた報道陣も少なかった。近所の住人によると、田村さんは14日に救急車で自宅から運ばれたという。
田村さんは先月クランクインした映画「The焼肉ムービー『プルコギ』」にも焼き肉店主として出演。現場に元気な姿を見せていた。出演シーンの撮影は、同下旬に終了。直後に行われた制作発表は欠席していた。
昭和3年、時代劇スターの阪東妻三郎の長男として、京都に生まれた。同志社大学経済学部を卒業後、貿易会社を経て28年、24歳のときに映画「女の園」でデビュー。翌年の「二十四の瞳」では教え子役を好演し、豪放磊落な父とは正反対の繊細な二枚目俳優としてスタートした。
40年、「兵隊やくざ」でブルーリボン男優助演賞を、57年「泥の河」で毎日映画コンクール最優秀男優演技賞を受賞。平成3年紫綬褒章を、11年には勲四等旭日小綬章をそれぞれ受章している。
俳優の田村正和さん(62)、亮さん(59)は実弟。
父の「阪妻」こと阪東妻三郎さんは、サイレント映画時代からの名優。本人は俳優になる気はなく、サラリーマンとなったが、父が急逝。父が映画界入りを望んでいたことを知り、デビューを決意する。
故勝新太郎さんとのコンビで話題となった「兵隊やくざ」シリーズでは、知的な二枚目上等兵を好演。中国ロケを行った「天平の甍」では、鑑真役で出演。「泥の河」(昭和56年、小栗康平監督)では、その存在感のある演技力が海外でも高く評価された。昨年には、NHKの朝の連続ドラマ「ファイト」にも出演していた。
「3兄弟」として知られるが、実際には、会社を経営する二男を含めると、4兄弟。
14年、父の生誕100年を機に『剣戟王阪妻の素顔/家ではこんなお父さんでした』を出版。亡き父に「どうだい、にいちゃん、今の仕事、おもしろいかい?」と問われたら、「ハイ!とてもおもしろいです」と答えるだろう、と記していた。
★「ナイーブな青年」
生前、田村さんと親交があった映画評論家の白井佳夫氏「非常に責任感が強く、お父さん思いの人。“バンツマ”の影がいつも頭にあったと思う。本人は役者を志望していなかったようだが、おそらく阪東さんが、長男の高廣さんに自分の後を継がせたかったのだと思う。無骨な父とは違ってナイーブな青年という感じだった。戦後から一貫する典型的な日本男児の雰囲気を持つ貴重な存在です。5、6年前から体調が良くなかったようだが…。いい人だった。残念です」
★「実感わかず…」
田村さんが最後に撮影に参加していた映画「プルコギ」のグ・スーヨン監督は、「関係者から亡くなったと聞き、本当に驚いた」と話している。
映画は焼き肉店を舞台に料理バトルを繰り広げるという物語で、田村さんは焼き肉店の老店主役で出演。3月下旬から北九州市で行われた撮影に参加した。グ監督は「田村さんの出演場面は、4月11日に撮り終え、10日ほどの付き合いでしたが、その時は出演者の中でも一番元気なくらいでした。今も実感がわきません。映画は今月クランクアップしたばかりで、作品をみてほしかった…」と話している。
★「僕にとっては同士」
田村さんと旧制京都府立三中の同級生で、経済小説家の渡辺一雄さんは今月8日に雑誌の依頼で田村さんと電話対談したばかりという。
18日早朝のニュースで訃報を知った渡辺さんは「(戦時中の)悲しい思いを共有できた貴重な親友だった。バンツマさんにもかわいがってもらってたので…。僕にとっては同志だった。本当に悔しい」と漏らし、「浮ついたところも、威張ることもなく、温厚で本当に礼儀正しい人だった」と人柄を振り返った。
渡辺さんは戦時中の勤労動員で田村さんら同級生で愛知県半田市にいた際、地震に遭遇。13人の仲間を亡くした。それ以来、親交を深め、今回の雑誌対談も田村さんが「是非やりたい」と意欲的だったという。
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